詩を読むのはどこかむず痒いところがあって、ましてや少女趣味全開だとしたら、ちょっと小っ恥ずかしいと思うけれど、寺山修司の少女趣味はどこかフィクションめいたところがあるように思っている。
寺山修司の詩は10代の頃に初めて読んだ記憶があるのだけれど、改めて約半世紀の時間を経て読んでみたらどう思うかというと、若干の懐かしさと言葉遊びのセンスに良いなと思った。
10代の頃に詩を読んでいたのは、短い言葉で放たれる抒情に流されるためではなかったと思い出した。
抒情に流されるのであれば、少女漫画のコマの端々に散りばめられたセリフを追っていった方が目的に近いような気がするし、近代詩人でも他にたくさんいるだろうが、そういう詩は良く分かっていない。
図書館で手当たり次第に読み漁っている中で、寺山修司にピンと来たのは、抒情そのものではなく、抒情を装っているスタイルというか、むしろ抒情を題材とした言葉遊びだったのだろう。
恋慕の思いを伝えるスタイルのようでありながら、言葉遊びをしている部分を面白いと思ったのだと思う。
ともあれ、通勤電車の中で詩集を開くのは、些か気が引けるのも事実である。
これは通学電車の中で読んでいた10代の頃から変わらない。
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