雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

精神と自然―生きた世界の認識論/グレゴリー・ベイトソン


誰でも知っていることを言葉にすることは難しい

精神と自然―生きた世界の認識論

精神と自然―生きた世界の認識論


大学生の頃に確か読んだはず。
マイケル・ポランニーやアーサー・ケストラーの流れで辿り着いた。
認識には階層があり、メタレベルを意識していくことで、世界を捉えていく、とかそんな話。
と書いてしまうとつまらないのだが、そういった自明と思ってしまうことを言葉にしているのが、M・ポランニーの「暗黙知」だったり、ケストラーの「ホロン」だったり、中村雄二郎の「コモンセンス」だったように理解している。

だが、改めて読み返してみると、実は8章以降がこの本の真髄であることに気づいた。
それは、論理階層の問題だけではなく、それが時間軸の中で展開するダイナミックな動きを考察していたのだ。
認識論と進化論の相似、それに気づくのだった。