雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

臨床の知とは何か/中村雄二郎


この本もまた、図書館で借りたのだが、昔読んだことがあるような気がする。
しかし手元には無い。
それはともかく、近代的なるものの代表的な科学的な知への批判としての、新しい知の示唆をしている。
例えば、それはマイケル・ポランニーの暗黙知だったり、あるいは西田幾多郎の再評価だったり、あるいは、情念論、演劇、身体性、そして医療現場におけるホームドクターという考えなど、様々なキーワードが散りばめられている。
だがこれを読んだからといって、何かが解る様になるのではない。
まるでカタログを眺めるように、様々な知のあり様を知ったところで、科学的なるものは身体を貫き、眼前の景色にフィルターをかけ、それは決して疑うことの出来ないセントラル・ドグマかのように存在している。
そもそも、新書を読んで何かを解ったような気になるのが間違いなのだろう。


臨床の知とは何か (岩波新書)

臨床の知とは何か (岩波新書)