雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

スローターハウス5/カート・ヴォネガット・ジュニア

何となく、カート・ヴォネガットが読みたくなって、あれこれ本棚から引っ張り出しては拾い読みをして、これを選んだ。
出だしはヴォネガット自身が、第二次世界大戦におけるドレスデン爆撃についての本を書こうと思い立ち、再訪するいきさつなど語られる。
ドレスデン爆撃は1945年2月13日に行われ、控えめに見積もっても、一般市民、東欧からの難民を含む、13万人の命が失われたという。
そして、ヴォネガット自身はアメリカ兵捕虜として、その場に居たという。
主人公のビリー・ピルグリムは痙攣的時間旅行者であり、過去や未来の自分に不意に放り込まれる。
ビリーは第二次世界大戦で対独戦線に放り込まれ、捕虜となり、ドレスデン爆撃の中、偶然にも生きながらえる。
戦争後はアメリカに戻り、金持ちの娘と結婚し、検眼医として安定した生活をおくっていたが、トラルファマドール星人に誘拐され、肉体派女優と動物園に入れられ観察される生活を送り、やがて地球に帰され、最期は殺されてしまう。
だが、ビリーにとっての時間は、過去から未来へと一つの方向しか持たない広がりではなく、ランダムに立ち現れる。
したがって、様々なエピソードがモザイクのように入り混じる。
ヴォネガットは「そういうものだ」(So it goes.)を連発し、ドレスデン爆撃という非情な出来事も、主人公達の過酷な人生も、多くを語らずにその一言で片付けてしまうことで、悲惨さを際立たせている。
この作品が書かれたのは1969年であり、アメリカに於いてはベトナム戦争が泥沼と化していた時代だ。
ヴォネガットがそのタイミングで、1945年の自身の戦争体験を語ったのには反戦の意思があったのだろう。
だが、それをSF的な仕掛けに埋め込み、敢えて多くを語らずに、この世界の無意味さを語る、そのスタイルにナイーヴさを感じる。