雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

花影/大岡昇平

読後感を一言で言うならば、痛いとでも言えばいいのか、或いは、見たくも無いものを見せられた、とでも言えばいいのか。


大岡昇平を知ったのは、高校の現国だったと思う。
夏休みの宿題か何かで、「野火」を読み、感想文を書く、というのがあった気がする。
書いた内容も、話自体ももう覚えていない。
正直なところ、ピンと来なかったのだ。
だが、大学の友人に、「武蔵野夫人」を薦められた。
お互いに、フランス文学での接点がある友人で、何の話からの流れだったかもう覚えていないが、大岡昇平の「武蔵野夫人」「花影」といった作品は読むべきだ、と薦められたのだった。
そして、確かに読んで何か響くものがあったのだろう、未だに本棚に残っていた。


この「花影」という物語は、銀座のバーに勤める30代後半の女性が主人公で、時代設定としては、戦中から戦後にかけてである。
主人公の葉子は、複数の男と遊び、妾になる話や、結婚話も出て来たりするのだが、どこかでうまくいかない。
ホステスとしてのサクセス・ストーリーである、自分の店を持つ、という考えも無いことは無いが、そこまでがつがつとパトロンを捕まえたり、ほかのホステスを蹴落としてでも駆け上がるわけでもない。
つまり、この世界で「生きる」ということに対して、身を賭して何かをしようとするつもりも無いのだが、一方で「死ぬ」ということに対しては、何をか知っているつもりなのである。
周りの葉子に対する評価も、決して高い訳でもない。
どこかで醒めた色事を重ねながら、男たちもまた言い寄ってきてはやがで飽きて去ってゆく、そしてそれが葉子の日常となっている。
葉子の生い立ちに影を落としているのは、「拾っ子」であること、自殺未遂の経験があること、そして、迫りつつある「老い」である。
そして、葉子は自殺してしまう。


大岡昇平が描くこの小説の主人公・葉子の心の動きについて、周りの女性に感想を聞いたことは無いが、私には理解し難いものがあった。
それは私が男性だからなのだろうか?
葉子は現状に満足しているわけではないが、心のどこかで妥協しているようだ。
どうしたいのか、ではない。
求められることに答えようとする。
だがそれだけに見える。
最後は腹を立てながら自殺の手順を進める。
自殺に至る理由は明かされず、自殺に至るまでの行動が細かく描かれる。
結局、望まずに手に入ったものは「老い」であり、自ら望んで手に入ったものは「死」だけだったのだ。
大岡昇平のこの描き方は残酷だと思う。
だが、初読の時に何を感じたのかは判らないが、その残酷さが故に、この本は手放せないでいたような気がした。


花影 (新潮文庫)

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