夢というものは、様々な想像力を駆り立てる。
例えば、シュルレアリストたちは、無制限の想像力を見出そうとした。
安部公房氏はその作品のヒントを、夢日記からも得ていたようだ。
カルロス・カスタネダ氏のドン・ファンシリーズでは、夢を意識的にコントロールするための「夢見の技法」が登場する。
個々の例を挙げなくとも、古今東西の物語において夢での暗示が、物語の転回点となることは良くあるだろう。
埴谷雄高氏はこの作品において、夢を通じて存在の根源に至るための実験を行っているようだ。
端的に言えば、夢を通じて宇宙的存在へと、それは極大の空間と時間を、想像力の中に取り込むことだろう。
それは、ワタシという肉体と寿命を超えた、星々の運動を想像することでもある。
また、夢と意識の境目を探る。
夢の始まりを意識することで、夢を意識的にコントロール出来ることを目指す。
あるいは、追跡される夢、闇で鏡を覗き込む、さらには≪私≫がいない夢、様々な夢を考察し宇宙的存在へ至ろうとする。
夢が何であるか、夢の意味を見出すことが、物語の中心なのではない。
夢を思考することで、存在を思考し、人間存在を宇宙論的存在にまで敷衍しようとする試みであるように思う。
- 作者: 埴谷雄高
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1994/02
- メディア: 単行本
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