雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

O嬢の物語/ポーリーヌ・レアージュ

恐らくこの本については、ポルノ小説と説明されることが多いだろう。
以下、その内容に触れざるを得ないので、もしその手の話題を、お気に召さない方、不愉快に思われる方、苦手な方、などは、この先を読まないほうが良いでしょう。


この先から書き始めますよ。


まず、作者のポーリーヌ・レアージュは偽名だそうだ。
持っている角川文庫版のあとがきで、1966年の澁澤龍彦ジャン・ポーランの単独作、あるいは、ドミニック・オーリーとの共作と推測しているが、1994年にドミニック・オーリーが作者であることを表明したそうだ。
作品自体は1954年に発表され、1955年にはドゥ・マゴ賞を受賞している。
この小説には、性的な場面、しかも異性間の性交渉だけではなく、同性間のそれや、鞭打たれる場面もふんだんに登場する。


物語のあらすじはこんな感じだ。
主人公のOは恋人のルネによって「ロワッシーの館」に連れて行かれる。
そこで、Oはルネを愛するが故に、絶対服従の調教を施される。
ロワッシーからパリへ戻るが、今度はルネに「ステファン卿」を紹介され、Oは二人に共有される存在となる。
ステファン卿は、Oを「アンヌ・マリー」の館へと預け、そこで陰部への鉄輪の取り付けと臀部への焼印を施される。
ステファン卿、ルネ、ジャクリーヌ、ナタリー、そしてOは、南仏へバカンスに出る。
そこで、ステファン卿から「司令官」を紹介され、ステファン卿に連れられ、Oは全裸に「ふくろう」の仮面を被り、司令官の主催するパーティーへ乗り込んで行く。
そして、削除された最終章では、Oはステファン卿から捨てられ、自殺するらしい。
この物語を、ポルノだと言う事には何の意味も無い。
それは、例えば「これは寓話です」とか「これは恋愛小説です」と説明するように、単なるフォーマットの説明でしかない。
では性的な描写があれば、それはポルノであろうか。
では、村上春樹の「ノルウェイの森」をポルノだという説明を聞いたことは無い。(いや、そう説明している人もいるのかも知れないが、多数派ではなさそうな気がする)


ともあれ
この物語を、支配/被支配の構図から読む。
Oとルネの恋人という、対等な関係は、「ロワッシーの館」において、愛の名の下における主従関係へと変化させられる。
それは、性的な関係の強要だけを意味しているのではなく、Oの精神状態において、自ら進んでその関係を結んでいるかのように描かれる。(ロワッシーに連れて行ったのは、ルネに他ならないにも拘らず、である)
そのルネとの主従関係が維持されることに於いて、Oは悦びを見出している(ルネが望むものを与える、そして繰り返される「わたしはあなたのものよ」)のであるが、ルネはステファン卿にOを譲り渡してしまう。
しかしながら、Oに於いては、「ルネ」との関係よりも、「主従」関係そのものに力点が移動している。
「ルネ」が望むことが悦びなのではなく、誰かが望むことを与える、求められたことに従うことそのものに悦びを見いだしている。
それは、具体的な個人との愛から、抽象的な神との愛の形へと変化したかのようだ。
ステファン卿の求めるもの絶対として受け入れること、まるでそれは宗教的な受苦や法悦といった観念に近いのではないだろうか。
ルネに出会う前のOは、それなりに男性遍歴を重ねても、そこには誘惑する遊びでしかなく、悦びを見出してはいなかったように語られる。
ステファン卿、そしてアンヌ・マリーの館での調教と鞭打によって、宗教的次元にまで高められたOの精神と肉体は、鉄輪と焼印というイコンによって聖別される。
もはや、Oはその存在自体が聖なるものとして、司令官の主催するパーティーに君臨する。
ただそこにいて、ふくろうの仮面で素顔を隠し、丁寧に脱毛されて、鉄輪と焼印でイコンと化した肉体を晒すだけで、周りに影響を及ぼす存在となったのだ。
被支配されることでの聖なる存在と化したOは、その支配/被支配の関係の解除、すなわちステファン卿に捨てられることは、存在の根拠を失うことであり、死を意味するしかないのだろう。


支配/被支配の構図で、ひとつだけ捩れているのは、ジャクリーヌとの同性愛の関係である。
ジャクリーヌをルネとステファン卿のために誘惑するのだが、Oは葛藤する。
ジャクリーヌをルネとステファン卿に提供することは、絶対的な命令であり服従することの悦びを見出すべきことである一方、二人にとってのOの特権的立場が脅かされることでもあり、ジャクリーヌを手放すことでもあるかのように感じる。
やがて葛藤しつつも誘惑し、性的関係を結んでも、ジャクリーヌに支配されることは望んではいないし、支配することも望んでいないようだ。
(もしかすると、ジャクリーヌの件は、物語にとって余分なのかもしれない)


他にも、この物語は読み解けるような気がするのだが、それはまた再読の時に取っておこうと思う。


O嬢の物語 (河出文庫)

O嬢の物語 (河出文庫)

澁澤龍彦訳。
持っているのは、角川文庫版だが、恐らくこれが現在手に入るものではないだろうか。


O嬢の物語 (講談社文庫 れ 2-1)

O嬢の物語 (講談社文庫 れ 2-1)

鈴木豊訳。
以前は、こちらも見かけたが、最近は見かけない。


完訳Oの物語

完訳Oの物語

高遠弘美訳。
完訳らしいが未読。