何が読みたいのかよく判らない時期に、自分がはまり込んでいる。
こういうときは、好きな本だけ読んでいよう。
というか、もともと好きな本だけ読み返すんじゃなかったっけ?
まあ、いいか。
内田百けんの作品でも、やはり「サラサーテの盤」「東京日記」に惹かれてしまうのだが、読み返してみて「南山寿」「柳検校の小閑」「由比駅」といった作品も面白いなと思った。
面白いなと思った、なんて、まるで小学生の作文並みの表現なのだが、好きな作家、作品のこととなるとどうにも難しい。
この本には、幻想的とか夢幻のような、と表現される作品が集められているのだけれど、どうもそれはちょっと違うんじゃないだろうか。
フィクションである小説が、想像力を失っていたらそれはつまらないということだろうと思う。
百鬼園先生のこれらの作品は、「恐い」ということが何であるのかを、こねたり叩いたり引っ張ったりと、あれこれ操作している実験なのではないか。
例えば、地震に関する描写が何度か出てくる。
恐らくは、関東大震災の記憶が念頭にあるのだろうけれど、それを眩暈のように言ってみたり、景色の食い違いと言って見たり、表現の実験をしているようだ。
あるいは、「東京日記」に出てくる光と水面と鰻の関係は、連想の範疇の話ではないだろうか。
夕暮れ時の光を失って行く感じが、黒い鰻たちの出現に繋がっていて、鰻のぬるぬるとした動きや触感のようなものが揺れ動く水面に繋がっている。
光を失っていくことと、ぬるぬるとした動きを二軸に、その得体の知れなさのようなものが何であるのかを表現の実験として書いているのだ、と思った。
あるいは、「由比駅」に登場する屍蝋と「いち」という犬のエピソードは、由比駅に向かう旅行とは関係が無く、あまつさえ由比駅から向かうSATTA-HOTELも関係が無いのだけれど、それらを意味ありげに並べていくことで、何か不気味なものが出現しないかということを試しているようだ。
繰り返される咬み合わない会話も、その関係無さが故だろう。
だから大団円としての、SATTA-HOTELでの女の歌と笑いは、百鬼園先生自身の笑いでもある。

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