雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

類推の山/ルネ・ドーマル


高みへ

類推の山 (河出文庫)

類推の山 (河出文庫)


シュルレアリスムが目指すテーマは幾つかある。
それは、状況の変化とブルトンを中心とした離反と合流の中で、様々に変化していった。
この本の作者、ドーマルはブルトンを中心とした本流のシュルレアリストではなく、除名
されたメンバーの一人ではある。
だが、この小説は、本来、シュルレアリスムが目指しているものを具現化し、いやむしろ
もっと先まで進んでいると思う。

この小説においては、「精神の高みに上る=山に登る」として物語が展開する。
物語そのものが寓意に満ちているだけではなく、散りばめられた様々な意匠に寓意があり
深みがある。
シュルレアリスムとしてだけでなく、純粋な寓話としてすばらしいと思う。
また、寓話といってもカフカのような暗さはなく、解説でも書かれているように、明るく
清冽な寓話だ。
惜しむらくはこの小説が未完で作者が亡くなってしまったことだが、むしろ未完だからこ
その輝きもあるのではないだろうか?

ホドロフスキーの映画「ホーリー・マウンテン」は、この小説が原作だったはずである
。(アイデアを借りてきただけかも…)
細かな内容については、読んで欲しいし観て欲しいので、ここには書かないが、それぞれ
が全く別の作品としてすばらしい。
しかも、どちらも意味するところは、同一であるように思う。
さしずめ、シニフィエは異なるが、シニフィアンは同一といったところか?