雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

世界史のなかの明治維新/芝原拓自


ありうべき過去

世界史のなかの明治維新 (岩波新書 黄版 3)

世界史のなかの明治維新 (岩波新書 黄版 3)


確か大学の何かの授業のテキストだったか、ゼミの夏休みの宿題だったか、いまいち覚えていない。
改めて読んでみると、そう捨てたもんでもない。
世界史の動きと明治維新から明治政府への流れを、うまく対比させている。
実は歴史系の本は苦手だ。
苦手というのは、そう好きではない、という意味だ。
前にも書いたが、歴史教育は政治教育であるからだ。
どのような史実をピックアップして、どう並べるか、ということの隙間には、強烈なイデオロギーが詰まっている。
この本を読んで思うのは、選択しなかった選択肢のことだ。
江戸時代の徳川家が選択しなかった外交政策、倒幕諸藩が選択しなかった権力構造、明治政府が選択しなかったアジア外交、それらの選択肢は、19世紀の世界史における植民地経営から帝国主義に向かう不可避な流れにおいて、その時代の権力者たちが抗いながらも選択してきたことなのだが、それは必然だったかというとどうなのだろう?
フーコー的な意味での)権力闘争の場としての外交、国内の争乱状態、そこにあるのは闘争であり、必然に向かう力なのではない。
この本で描かれるのは、欧米と日本、日本国内の諸藩、旧士族と平民、そういったこの世界における相反する諸力の権力闘争なのだ。
それら諸力のどれを選ぶか、それはまさにこの本の政治的イデオロギーなのだと思う。