雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

どうして僕はこんなところに/ブルース・チャトウィン


この本もまた図書館で借りた本である。
ブルース・チャトウィンは何年か前の「Switch」の特集で知った。
サザビーズの鑑定人を経て、旅にとり憑かれたイギリス人作家、というより、むしろ旅に生きた人のようだ。
この本は、そんなチャトウィンの短いエッセイや創作を集めたような本だ。
亡くなる前に著者がまとめたらしい。
ある程度のテーマに沿って、10章に分けられてはいるが、統一した印象は無い。
フィクションなのかそうではないのかでさえ、見分けがつきにくい。
だが、一見、非現実的な出来事さえ、世界のどこかでは起こっている、というのは否定することはできない。
例えば、ベナン(旧ダメホ?)のクーデター騒ぎは何度か触れられている。
一夜明けたら前触れも無く傭兵扱いされ、捕らえられてしまう。
将校たちとの成立しない会話が繰り返され、外では銃声が聞こえ、フランス人とこそこそ相談し、やがてドイツ人に助けられる。
不条理劇のようでもあり、茶番のような出来事を、淡々と記述する。
それを、イギリス人の国民性や、チャトウィンスノビズムの現れ、と捉えるのは異なるような気がする。
また、漢の武帝が天馬を求める話や、ヴォルガ河の観光旅行をベースに遊牧民族たちとの交渉する姿を物語として描いている。

描かれる風景や物語の中にチャトウィンの姿は見えない。
だが、物語もインタビューもレポートらしきものも、あまり違いは無いように見えてしまう。
ここに記述されているものは、紛うことなくチャトウィンを通して見えた世界なのだからだろう。
それはサザビーズで培った鑑定眼で、世界を旅し、人々を、エピソードを鑑定しているようだ。
何かを主張するのではなく、何かを選び出すことでチャトウィンの世界が作られる。
そして、この本はチャトウィンが自分自身を鑑定した本なのだろう、と思うのだ。

どうして僕はこんなところに

どうして僕はこんなところに