雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

藤富保男詩集

東京に雪が降った。
雪が降った夜は音がしない。
雪が音を吸収するのだという。
静かな夜には、詩が読みたくなる。
久しぶりに、藤富保男を引っ張り出した。
藤富保男を知ったのは、矢野顕子の「一分間」という曲で、その歌詞は、この本にも収められている「非」という詩だ。
他にも、サティの詩集を翻訳したり、北園克衛の評伝を書いたりしていることを後で知った。
藤富保男の詩は、物語的であるよりも映像的だと思う。
それぞれの行が、あるいは行を跨ぐ単語が、それぞれ映像的な印象を残す。
だが、行を追っていくと意味を裏切られたりする。
言葉を重ね、意味を強調するかのように見せかけて、突然否定され、意味は無化される。
シュルレアリスム的な語法にも通じながら、どこかユーモラスでもある。
映像的でありながら、ユーモラスな詩。
もちろんそれだけが、この本を全て言い尽くせているわけではない。
読み終えた頃には、雪は道の端に残るだけになったようだ。


藤富保男詩集 (1973年) (現代詩文庫〈57〉)

藤富保男詩集 (1973年) (現代詩文庫〈57〉)