萩原恭次郎は大正から昭和初期に活躍した詩人である。
ダダイストだとか、アナーキストだとか、紹介されているが、実際のところ、詩とは何であるかといったら主義主張ではないだろうと思う。
そもそも、大正から昭和初期の前衛詩人たちを、ダダイズム、シュルレアリスム、未来派、立体派といったところで、そこには作品におけるスタイルの差しかないように思うのだ。
つまり、それぞれの主義主張は思想の問題ではなく、スタイルの差異に関する言明なのではないか。
だが一方で官憲による思想統制、前衛芸術活動の摘発が行われたことも、歴史的事実としてあるのはどう考えるべきか。
まあ、そういった問題は文学部の学生に任せておけば良いかとも思う。
それはともかく。
久しぶりに萩原恭次郎の詩を読んで思ったのは、詩の題材としての都会というのはひとつの廃れたテーマだろうと思った。
それを否定しているわけではない。
だが、未来派風な表記で記述される「日比谷」の光景というのは、実際のところ、現代より遥かにのんびりした世界であったろうと思うのだ。
もし、現代の日比谷を記述するとしたら、どんな表記が適切なのか。
内面の投影として抒情詩的に表記する事は無いだろう。
ある種の憧れと恐怖を以って描かれる都会の光景というものは、それはそれは不可思議なものであるに違いない、
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