雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

回転どあ・東京と大阪と/幸田文

図書館で何となく借りてみた。
例えばこういった随筆を読んでいると、作者の生活がふっと見えるような気がする時がある。
そのイメージが合っているのか判らないが、自分の中の過去の映像と重なるように見える。
そこには作者の生活や思いが入っているからだろう。
この本に収められているような幸田文の文章では、自分が今まで意図的に選択してこなかった、あるいは選択できたかもしれない、ありうべきもうひとつの世界があるような気がしてしまう。
そう考えてしまうのは、現在の自分の傲慢さに他ならないことは自覚している。
もちろん時代も世間も全く異なっているのだけれど、幸田文的な人々のいる場所に自分もいたかもしれない、と思わせるのは何だろうか。
読み手の一方的な片思いに過ぎないのかもしれない。
そうありうべきだった自分への憧憬だとしたら、ただ単に疲れているだけなのだろう。