雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

散歩のとき何か食べたくなって/池波正太郎


「散歩のとき何か食べたくなって」とは、なんと巧いタイトルだろうか。
つい手を伸ばしてみたくなるように、読者をくすぐる。
内容としては、思い出の中の美味しい店、と言ったところか。
恐らく著者の知識、思い出の全てを、さらけ出しているのではないだろう。
だとすると、この本に選ばれた店の基準とは何だろうか、ということを考えてしまう。
最近よく見かける、ランキング的なものではない。
(しかし、順位付けすること自体に、どれだけの意味があるのだろうか?)
美味しい記憶とエピソードの結びつきに、何らかの意味があるように思える。
例えば作家になる以前の、奉公人時代の思い出と銀座、神田の店々、あるいは、子供の頃の記憶と“異国”としての横浜の店、と言った具合に、思い出語りに比重があるように思う。
はっきりとは示されないのだが、過ぎ去ってしまった思い出の中に理想の味を見出そうとしているようだ。
だがそれは、過ぎ去ってしまったが故に、美味しかった記憶だけが残る、という事ではないだろうか。
章が進むにつれて、タイトルからは遠ざかり、記憶の中の美味しいものを辿っているようだ。
だから、この本はガイドブックとしては役に立たない。
なぜなら、私的な思い出の中の美味を追体験することなど、読者にとって不可能だからだ。
それにも拘らず、店を訪れて、期待と違った時には、こんな風に呟くのが関の山だろう。
「この店も味が落ちたな…」
と。


散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)

散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)