今はソ連という国もないし、アンドレ・ジイドもとうの昔に亡くなっている。
1936年だから、もう80年近く前に、ジイドがソ連に滞在した時の紀行文である。
ジイドは何冊かしか読んだことがない。
この本において、ジイドはそれまでソ連に抱いていた賛嘆と愛着の情を、自ら訂正する。
革命的であること、その体現であるソ連という国家に、自らの眼で見、耳で聞き、足で歩いて得たものは、苦い現実だったようだ。
高邁な理想を掲げて作り上げられた国家で行われていたのは、貧しい人々の行列であり、孤児たち、官僚主義的な体制、画一主義的な精神、言論統制などであった。
窮極的な自由や平等を求めたはずの革命は、いつのまにか抑圧された社会を作り上げていたということらしい。
それでもソ連の美点を見出そうとするジイドの心中は如何なるものだろうか。
そしてそのソ連を批判する筆致は、理性的であり人間主義的であるが故に、ソ連という国家の本質を微かに外している。
社会全体に満ちている抑圧の前に、民衆の美しい姿をジイドは見出すが、それは果たして共産主義理念の可能性としての意味はないだろう。
既に共産主義国家の崩壊を通過しているからそう言えるのではなく、ジイド自身が文化の閉塞感として感じたこと、それがその答えなのだと思う。
それでもなお、革命的であることに、ジイドは期待を寄せる。
やはり理解し難いのだけれど、それはまだ、ジイドを読み込めていないのかもしれない。
- 作者: ジイド,小松清
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/09
- メディア: 文庫
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