雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

福島第一原発観光地化計画

正月に読む本としては、いささか重たいテーマなのだが、だいぶ前に買っていて、通勤中に読めないものだから、ちまちま読んでいるうちに、たまたま読み終えたのが今日だったというだけである。
この本は、ダークツーリズムをその主題としており、原発に対する立場を表明するものではない。
まして「観光」という日本語を使用することで、ある種の反感を買ってでも、興味を惹こうとする意図もあざとい。
誤解の無いように言っておくが、別にこの本に対する悪口を、ここで書き連ねたいのではない。
ダークツーリズムという手法に拠ってでも、福島第一原発の存在そのものが風化していったり、そこで起こり続けているさまざまな問題がマスコミですら取り上げられなくなっていくという事態を食い止めたいということを切望しているように思えた。
語られる計画そのものが、悪く言えば、荒唐無稽であったり、楽観的過ぎていたりしていても、それを言わないことで、次第に忘れ去られてしまうという危機感がそこにはあるのだと理解した。
確かに、2011年3月11日から、今年で3年経つことになる。
以前に比べると、直接的に語られることも少なくなったし、福島第一原発そのもののニュースも減っている。
放射能汚染廃炉問題が果たして良い方向に向かっているのかどうかすら判断しかねる。
原発輸出を懸念するコメンテーターや、反原発の言説を撒き散らかす議員や元議員の存在と、全体の趨勢との関係が見えてこないのは、彼らはどこかで馴れ合っているのか、コミュニケーションの断絶があるのか、見ている自分の中の無関心がそう見せているのだろうか。
時代を憂えてみせれば、それだけで何かを語ったつもりになれるほどお調子者でもないが、この三年無事に過ごせてきたのだから、この先だってきっと大丈夫だとどこかで思ってしまっているお調子者かもしれない。
それが全面的に悪いとは言わないまでも、やはり必要な情報は集めて、考えるべきことなのだ。
その考えるきっかけになるのであれば、この本を読んでよかったということになるだろう。
だが、知ってしまったその先どうするかは、個々人の問題であると同時に、社会的な問題でもあるのではないか。
それが某新米国会議員さんのような、ちょっとアレげな行動になるのは、何かが違う気がしている。
彼を否定するわけではないけれど、そんな判り易い所に敵はいたんだっけ、という気がする。
ダークツーリズムという概念は、それを知ってしまったらどうするのかという部分に対する、社会的基盤のようなものが不可視な状況では、空回る市民運動の域を超えにくいように思った。


福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2

福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2


執筆者は以下の通り。(敬称略)
東浩紀開沼博津田大介速水健朗藤村龍至、清水亮、梅沢和木、井出明、猪瀬直樹堀江貴文八谷和彦、八束はじめ、久田将義駒崎弘樹五十嵐太郎渡邉英徳、石崎芳行、上田洋子