この本を買った頃、どこで何をしていたのか、ちょっと記憶が曖昧だ。
挟み込まれたレシートと本にかかってるブックカバーは、新宿ルミネにあった青山ブックセンターを示している。
2001年3月20日 18:27
以前勤めていた会社も、この頃住んでいた家も、新宿とは方向が違う。
たまたま新宿に遊びに行って買ったのだろうか。
どうも良く分からないが、この本の記憶は残っている。
椹木野衣は10代の頃に読んでた「美術手帳」で、名前を知ったと記憶している。
岡崎京子に対する評価は、作品を発表していた80年代から高かったが、1996年に交通事故に遭われた後、この本が書かれた2000年以降に再評価の流れが来たように思う。
この本がそのきっかけになったかどうかは知らないが、以前の評価とは異なっているように思う。
80年代のバブル末期の「おしゃれ」「カワイイ」そんな評価が中心だったように思うが、この本では「空虚」「死」がクローズアップされる。
80年代の煌びやかな消費経済を背景に、少年少女の姿が描かれ、それは、ある種の憧れとして、あるいはポップライフの見本としての作品だったが、「エンド・オブ・ザ・ワールド」から「リバーズ・エッジ」「ヘルター・スケルター」辺りでは、血が溢れ、死や虚無に彩られる世界になったことが、バブル崩壊以降の90年代の社会の変化を象徴するように読み込まれる。
加えて、岡崎京子のエッセイ(PR誌「ちくま」に連載)、大阪万博のタイムカプセルの定期開封、太陽の塔の内部公開、といったことにも言及する。
脱稿した2000年11月11日から、20世紀の美術評論、漫画評論を射程に含めているように思った。
既存のジャンルが細分化され無効化してゆき、AIアライアンスを予見するような内容も述べられる。
またいつか、この本を読んだら、20世紀の終わり頃のことを思い出すのだろうか。