1999年7月に恐怖の大王が来て世界が滅ぶ、という予言は、小学校の教室の中で、幾度となく盛り上がった。
どうせ世界は滅びるんだから、やりたいことをやったほうが良い、という価値観は、1980年代後半からのバブル期の消費マインドの根底に繋がっていたような気がする。
結局のところ、1999年に世界は滅びなかったし、今では、ノストラダムスの名前を聴く機会も、大分減ってしまった。
世界が滅ぶんだったら踊ってようぜ、というのがPrinceの1999、あの頃に戻りたいよ、もう一発かましてくれよ、なんて歌いながらさ、というのがCharlie XCXの1999、どちらにしても1999年というのは特別な時間であることが意識の何処かにあって、何かとネタになりやすいのではないだろうか。
最近でも1999年7月を舞台とした小説や漫画を目にすることがある。
1999年の予言とは、なんだったのか、かつてのベストセラーを読み返してみる。
既に外れた予言の内容を検証することには何の意味もない。
1999年7月に世界は滅ぶ、という甘美な夢を、どうやって囁いたのかという、語り口を検証するべきなのだろうと考えた。
そう思って読み返してみると、あまりに粗雑な文章構成にくらくらする。
「おそらくは」と「間違いない」が一文の中にあったり、資料から想像で組み立てられた会話がまるで再現ドラマであるかのように断定されていたり、子供だましのレトリックがこれでもかと続く。
しかしそれを、いちいちあげつらって解ったような批判をしたいわけではない。
この本で主に著者の感想として述べられている公害問題への警鐘が、当時の読者たちの心象の中に納得感として残り、ひいては引き合いに出された1999年7月の予言が、リアリティを持って受け入れられたのではないだろうか。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の類の構造ということではないだろうか。
なお、大予言シリーズはこの後、続巻を重ねていって、当時は買った覚えもある。
そのまま持っていれば、この本を図書館で借りる必要もなかったな、と思った。
ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月人類滅亡の日【電子書籍】[ 五島勉 ]
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