雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

琉球弧の喚起力と南島論/吉本隆明、赤坂憲雄、上原生男、比嘉政夫、嵩元政秀、渡名喜明、高良勉

1988年12月2日に那覇にて開かれたシンポジウムの記録を中心に、吉本隆明氏の新たな「南島論」をキーにとした各氏の考察を含めてまとめられた本である。
その南島論は、国家を越えるべき論理として構想している。
同時期に吉本氏が展開していた都市論、つまりハイ・イメージ論とは、双子の位置付けであるかのようだ。
シンポジウムの基調講演としての南島論は、3つのテーマを提起している。
ひとつは、文化の基層を映像化できるのか、というテーマを、都市論における重層の映像化との対比において語っている。
だが、このテーマは抽象的であり、単一のテーマとしては判りにくい。
ふたつめは、言語としての南島というテーマであるが、要約すれば、ATLウィルス、Gm遺伝子、いくつかの方言において、南島という存在は、縄文以前の痕跡を残しており、天皇制を中心とした判りやすい、「日本文化」のタイムスケールを超えるものが存在している、ということだ。
そしてみっつめは、自然、神話、祭礼における段階論として、マルクスの概念であるアジア的段階に先行する、アフリカ的段階の存在を考察する。
これらの論理から、南島の考察、研究を進めることで、日本文化・国家をその基調から無化するような視点を取り出し、より普遍的なレベルでの文化に至れるのではないか、という主張のようだ。
この時、吉本氏は64歳である。
思いもかけない吉本氏の基調講演に対し、その後のパネルディスカッションでは、30代から40代の各氏は触発されたかのように、様々な意見が飛び交う。
縄文文化、アイヌ文化、南北朝に焦点を当てた天皇制、などなど。
吉本氏が投げたテーマが、様々な波紋を起こし、別のテーマを呼び起こしていく。
それぞれの論者が、それぞれの南島論を展開させてゆく。
スリリングなシンポジウムだった様子が伝わってくる良い本だったのだと思った。


琉球弧の喚起力と南島論

琉球弧の喚起力と南島論