雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

文藝百物語/井上雅彦、田中文雄、森真沙子、加門七海、菊池秀行、篠田節子、霧島ケイ、竹内義和

怪談というのは、聞いている人の感情に訴えかける、古来のエンターテインメントであり、語りの力が影響するものだろう。

百物語とは怪談を持ち寄り、一話話す毎に蝋燭を一本づゝ消していき、やがて百本目が消えたとき怪異が出現する、という。

都内某所と伏せられているが、根津辺りの古い建物(旅館?料理屋?)にて開催されたようだ。

怪談の怖さには、因果応報の考え方が深く染み込んでいる。

もちろんそれが全てではないが、然るべき因果によって、恐ろしいことが引き起こされる。

理由もなく、不条理なことは起きない。(例外はある)

そこは底知れぬ夜の世界ではなく、因果に縛られた昼の世界の延長なのだ。

というか、昼の世界の延長だと了解することで、恐怖の感情を理性で理解し、安心をしている。

共通理解の枠組みの中に恐怖の感情を展開する。

では例外として置いておいた、因果律に縛られない恐怖の感情とは何か。

それは「怖いもの」を表す記号なのではないだろうか。