どこでおすすめされたか忘れたけれど、図書館で借りて読んでみた。
石田英敬氏は東大の教授らしい。
東浩紀氏は90年代からたまに読んでいる思想家、論客である。
タイトルの通り、記号論の刷新であり、今までの記号論が前提としていたアナログメディアからの進化を目指す議論であると言えよう。
本文中でも再三言われているが、従来の記号論を拡充して行こうというのではなく、根本から刷新が必要だ、という論である。
なぜなら、これまでの記号論は20世紀初頭に登場したアナログメディアを語る言葉であり、20世紀後半のデジタルな世界、コミュニケーションを語る言葉ではないという。
確かに現実世界とそれを語る言葉というのは、何十年というスパンでずれていて、その違和感がデジタルを語る言説に溢れている。
新記号論として構築する基礎は文字である、という点も考えるべきポイントである。
従来の記号論の概念のベースは語であり、そこから、シニフィエ、シニフィアンがまとわりついてくる。
この本に書かれている論理を一つ一つ取り上げて検証していくほどには読み込めていない。
まだ、自分の中で十分に消化できてるとも言い難いけれど、いまのデジタルな世界を語るべき言葉を持っていない、という認識にははっとさせられた。
そして、全てはデータ化されてネットに繋がれているという認識にも、頷けるものがあった。
この本はもう一度読む必要があるかもしれない。