雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

熊野集/中上健次

熊野集 (講談社文芸文庫)

熊野集 (講談社文芸文庫)


確か最初に中上健次を読んだのがこの本だったように思う。
強い酒をあおった時の様な喉のひりつく感じとでも言うか、強い日差しで肌をじりじりと焼かれるような感覚とでも言うか、緊張感と焦燥感が混じりあったような皮膚感覚なのだ。
枯木灘」のようなフィクションは、熊野と物語を二つの焦点に持つ楕円軌道の上を廻っていく形だとするなら、この「熊野集」は熊野=物語と置き、楕円の2焦点を重ね合わせることから生まれる実験であるだろう。
それは、物語の舞台であり、物語を生成する現場であり、物語が生まれる母体でもある。
この本をきっかけに、中上健次にはまって行くとともに、熊野への憧れが芽生えてきたように思いだす。