気になったので図書館で借りてみた。
クオリアというのは質感のようなもの、赤い花の赤らしさ、電車のガタンゴトンという音のらしさ、そういったものを表す言葉である。
それが揺るぎないそれであるというらしさ、否定しがたいリアリティのようなもの、というように理解した。
脳の中で、そのクオリアはどのように認識されているのか、ということを考察している。
還元主義的に大脳皮質の連合野の働きを解明したからといって、クオリアを解明したことにはならないという。
さらに連合野の最小の単位になるニューロンに還元しても意味は無く、そこにはマッハの原理であるとあるニューロンの発火は全体との関係において意味を成す、ということになるという。
マッハの名前を聞くのは、確か栗本慎一郎氏が認識論を展開していた以来かもしれない。
ニューロンの発火とマッハの原理を基に、認識とはどういうことか、クオリアとはどういった事象なのか、という考察は、なかなか晦渋でざっと読んだだけでは3割も理解していないような気がする。
また意識に関する思考実験も面白い。
たぶんもう一度読まないと分からないかもしれない。