雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

西蔵放浪/藤原新也


世界の果てのような景色/人々の息遣い

西蔵放浪 (朝日文芸文庫)

西蔵放浪 (朝日文芸文庫)


この本は厚さ5センチぐらいあって、片手で持つのはなかなか苦労する。
タイトルの通り、チベットの旅行(放浪)記と言っても良いのだろう。
だが、チベット藤原新也が何をしていたのか良く判らない。
何かを思って、写真を撮って、お茶をご馳走になり、それで?、と思ってしまう。
バブルの頃に有名になったインドの写真の話にも触れている。
人々が日常から追いやろうとしてしている死というものが、インドではありふれた日常の中に転がっていて、死体は犬に喰われている。
そのことをクローズアップすることで、アメリカ的なものに代表される、ポップカルチャー、あるいは閉塞感に対するアンチとして、何をか訴えようとしているのかもしれない。
しかし、チベット藤原新也が思っていることは、チベットの人々とは関係が無い。
チベットだから思ったことなのだろうか?
藤原新也の文章は好きではない。
だが、写真は好きだ。
ここに収められた写真には、抜けるような青空と荒涼とした砂礫、わずかな緑が写っている。
人々の姿は埃っぽく、だが眼には力があり、息遣いが聞こえるようだ。
世界の果てのような景色と、人々の息遣いをポートレートとして切り取る写真家としての素晴らしさはあるのだ。