雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

「原っぱ」という社会がほしい/橋本治

ふとした瞬間に、橋本治氏のことを思い出したので、図書館で借りてみた。

10代から20代前半までの頃に読んだが、それ以降は全く手に取らなかったので、およそ30年ぶりだろうか。

現在はどんな活動をしているのかと思ったら、2019年に逝去されていた。

今更だけれど、ご冥福をお祈りする。

10代の頃に読み始めたきっかけは、恐らく「ビックリハウス」から誘導された。

サブカルの何かをも知らず、アカデミックなカルチャーも、アンチテーゼとしてのサブカルも、手当たり次第に何でも触れようとしていた。

その話はまた別の機会にするとして…

この本は橋本治氏の遺稿を含む、最後の著作という本のようだ。

昭和から平成の概観から始まり、昭和の終わりと平成の始まり、「原っぱ」という概念のようなもの、そして闘病記を語っている。

久しぶりに読み返してみると、橋本治氏のピントは近代にあって、2000年以降に方向は見えていないように思った。

亡くなってしまったから、真意はどこにあったのかというのは、読者の推測でしかないのだが、80年代のサブカル解説風に言うなら、近代のパパ・ママ・ボクの三角形の崩壊を解説はするけれど、そこからどこに向かっていたのかが良く分からない。

それを「原っぱ」という言葉に乗せようとしていたようにも見えるけれど、実際のところ思い出話で終わってしまっているように思う。

だが、2000年以降の橋本治氏の著作がもう少しあるようなので、読んでみたいと思っている。

世代は交代し、若い頃に親しんだ論者が去っているのは自然なことだが、一体何を考え抜こうとしていたのか、という事をトレースすることで、自分の書庫を少しでも整理できるかもしれないと考えている。