雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

なぜノンフィクション作家はお化けが視えるのか/工藤美代子

「日々是怪談」を加筆訂正の上、改題した本だという。

工藤美代子氏の本はこれが初めてである。

ノンフィクションという分野にあまり食指が動いてないせいだと思う。

フィクションでない文章なんてない、と思っているから、正面切ってノンフィクションと言われると、さてどうしたものかと身構えてしまう。

この本は、著者が出会った怪異譚である。

作り話ではないという程度の意味で、ノンフィクションなのかもしれないが、怪談という語りのスタイルではない。

怪談はフォーマットのようなものがあって、因果律に収束してゆく。

この本にあるのは因果律ではない。

だから、怪談として楽しむものではない。

怪異があった、という怪異譚ではあるのだけれど、例えば「遠野物語」に登場するような怪異譚とは異なっているのは、著者の考えや感情や思い出といったものと一緒にエピソードが語られている点かと思う。

それが良いとか悪いとかいう話ではない。

なにかのエピソードは体験者のパーソナリティと結びついて語られるのは当たり前だし、そこが醍醐味でもあるだろう。

ともあれ、そういった語り口の妙味はあるけれど、本のタイトルで「ノンフィクション」を強調するようなのは、ちょっと品がないなと思った。

改題される前の「日々是怪談」の方が、洒落が効いてるように思う。