雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

花嫁化鳥/寺山修司


匂いの記憶のようなもの

花嫁化鳥 (中公文庫)

花嫁化鳥 (中公文庫)


寺山修司というその名前だけで、中学生の頃の自分は、何かイケナイコトに近づいたような気がした。
エログロ、フリークス、センチメンタリズム、演歌、競馬、アングラ、路地裏、大衆演劇、そんな言葉が寺山修司の本には渦巻いているような気がした。
それは強烈な光景の記憶としてではなく、ある種のノスタルジーにも似た、云わば匂いの記憶のような曖昧な、でも何かを思い出しそうになる感覚がある。
寺山修司の描く母なるものへの郷愁は、恐らくフィクションの要素が多いのでは無いだろうか?と推測する。
それは郷愁を呼び起こすための舞台装置としての母のイメージを作り上げ、そのセンチメンタリズムを詩情とするための装置なのだと思う。
この本はルポルタージュという体裁だが、その実は、寺山修司の世界を通して見えた架空の世界のようにも見えてくる。
無味乾燥な現実でも、見方を変えることで、それが事実かどうかはともかく、魅力あるものを引き出しているということだろう。
そういえば、まだ深夜番組が中心だった頃のタモリは、寺山修司のモノマネをよくやっていたような気がする。