雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

葉隠入門/三島由紀夫


とらわれて

葉隠入門 (新潮文庫)

葉隠入門 (新潮文庫)


「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という一文で葉隠は知られているが、自決の3年前の三島由紀夫が解説しているのがこの本である。
三島由紀夫がこの本を記した背景には、些かの時代背景とミシマならではの観念性があるように思う。
WW2における葉隠の扱い、終戦後の日本の状況、そしてそれらの時代を通過したミシマならではの苦悩がある。
従って、葉隠を理解するための本なのではない。
ミシマが葉隠に何を見いだし、見いだした観念に囚われてゆく危うさが現われているのだ。
以前、ミシマの俗悪さが好きだと書いたが、葉隠に死の意識から転向する生の哲学があると解釈してしまうのもその俗悪さが故の危うさに見えてしまう。
生の哲学があると言いつつ、死の意識に囚われていってしまっている。
戦前における葉隠の肯定と、戦後における葉隠の否定を二つながらに否定することで、死の意味を見いだし、見いだした意味が現代に対するアンチテーゼであるという観念に囚われているのだ。
だが、その俗悪さが故の危うさがやはり好きなのだ。