図書館で何となく気になったので借りてみた。
ソクラテスの死にプラトンは立ち会っていないにも拘らず、その情景を「パイドン」で表している。
この本はその、一見不可解なプラトンの対話篇についての考察から始まる。
自身では何も著作を残さなかったソクラテスという人物が、何故、哲学者の始祖の一人として挙げられるのかという問いが、この本の中心だろう。
プラトン、アリストパネス、クセノポンの各著作に当たって考察し、そこに「ソクラテス文学」というジャンルが存在したであろうこと、そしてそれは、ポリュクラテスの「ソクラテスの告発」というソクラテス裁判の告発をきっかけ、そして古代ギリシアの政治状況から、ソクラテスの弟子達の動きを捉えていく辺りはスリリングな展開だろう。
ソクラテスという師、そして弟子達が、まるで身近な存在のように立ち表れてくる。
そして、最後には「無知の知」というソクラテス理解に対する訂正の考察が収められている。
この本では、丹念にプラトンのヴェールを剥がして、ソクラテスその人に至ろうとすると共に、弟子達の姿が描かれ、そこで何が伝わり、何が誤解されていったのかが考察されている。
学校の授業のような人名とキーワードで哲学史を理解(というよりかは、ただの記憶か?)するのではない、哲学の試みが、ここにあるように思えた。