雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

時間と自己/木村敏

この本を読んだのは、いつのことだったのか、もう憶えていない。
ともあれ、自分のことが気になってしようがない、10代後半の頃にちがいない。
この本は、精神医学の観点からの時間論であり、意識論であろう。
時間という存在を、もの的に捉えることから、こと的に捉えることにより、自己のあり方を三つの類型に整理する。
それらは、「いまから」の未来に自己を見出す分裂病的時間(アンテ・フェストゥム)、「いままで」の過去に自己を見出す鬱病的時間(ポスト・フェストゥム)、永遠の「いま」に自己を見出す躁病的時間(イントラ・フェストゥム)である。
必ずしもそれらが狂気的なあり様かというとそうではなく、それらの相を行き来するのが人間のあり方だと捉える。
果たして10代の自分はこの本を読めていたのかは疑問だが、これらの類型は憶えていたところを見ると、何がしか感銘は受けていたようだ。
やはり、若い頃の読書はそんなものかもしれないと思う一方、濫読でもこういった本に触れていたことは何がしかの糧になっていたようにも思う。


時間と自己 (中公新書 (674))

時間と自己 (中公新書 (674))