雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

贈与論/マルセル・モース

ずっと以前から知っていたのに、手が出なかった本だ。
この本の存在を知ったのは、恐らく大学生の頃だ。
栗本慎一郎か、バタイユからたどり着いたのだろう。
評論を読んでしまうと、その対象を読んだ気になってしまいがちだ。
だが、やはりそれは読むべきなのだ。
改めて、モースの「贈与論」を読んでみると、その先鋭さと共に想像との違和感を覚える。
もちろんそれは悪い意味などではなく、良い意味での裏切られた感に近い。
この本でモースは、ポトラッチを幾つか紹介している。
それもまた、マリノフスキーからの事例紹介である。
モースはフィールドワークをしない民族学者のようだ。
レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」ようなイメージが全く異なっていたのだ。
それはともかく、モースはポトラッチを紹介し、そこに交易とは異なる、贈与という行為における意味、そして物にまつわる呪術的意味、そして法制史的な議論を展開する。
なるほど、進化論的な経済発展史観とも言うべき議論とは一線を画した、経済活動の意味論的な展開にワクワクする。
つまりは、贈与と攻撃が紙一重で、相手を圧倒し、自らの力を誇示することがその根底にあるということだろう。
もちろんそれが、組織化された社会の中で意味することとは異なるのだけれど、意味においては含まれており、それが儀式化することが社会の成熟だということだと理解する。
気になったのは、モースもまた西欧中心主義的な引力を免れておらず、ポトラッチは未開の文化と看做している点だろう。
贈与の意味を先鋭化するポトラッチと、贈与の意味を忘れて儀式化した文化を、比較すること自体がナンセンスだと考える。

贈与論 (ちくま学芸文庫)

贈与論 (ちくま学芸文庫)

そういえば、ちくま文庫を購入したのは久しぶりかもしれない
贈与論 新装版

贈与論 新装版

こちらは見たことが無いな