この本もまた図書館で借りた。
小林秀雄は好きじゃない。
岡潔も知らない。
小林秀雄を読んだのは、高校生か大学生の頃だ。
何冊か読んだが、記憶にも残っていない。
(去年あたり、1冊ぐらい読み返したかもしれない)
内容は忘れているくせに、好きではないという感覚が残っている。
たぶん手強いから、敬して遠ざける、という類のことかもしれない。
この本は、裏表紙の紹介文の拠れば、「文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である」だそうな。
これって明らかにウケ狙いでしょ、という新潮社の下らない戦略にまんまとのってみた。
読んでみたら本当に雑談だったので、嘘ではなかった。
しかし、天才かどうかは、雑談とは関係がないので、やっぱり意味は無いだろうと思った。
雑談に対して、揚げ足を取ったり、鬼の首でも取ったかのようにあげつらったりするのは、いささかはしたない事なので止めておこう。
そうかと思ったことは、三つある。
ひとつは俳句について、詠んだ本人を知っていれば、もっと面白いものだろう、だから芭蕉の俳句はその弟子たちが一番その面白さを知っていたのだろう、と小林秀雄が話していた箇所。
まあ、そうだろうねぇ、だけどそれって作品をはみ出て、人となりを面白いと言っているのではないだろうか、と思った。
間違ってはいないのだろうけれど、批評としては成り立たないということなのだろうか。
ふたつ目は、特攻隊の気持ちになって考えてみれば、小我を捨てることができる日本民族は稀有な存在であり、が世界を救うことができる、的な話を岡潔がしていた箇所。
それって「と」の話じゃなかろうか、という、そうかぁ?と思った。
対談が行われた昭和40年という時代背景を考えると、そんなに「と」でも無いのだろうか。
まだ、マルクス主義者だって、明るい未来を夢見ていた時代だからな。
三つ目は最後の最後で岡潔が、
理性はまったく純粋な意味で知らないものを知ることはできない。
と発言している箇所だ。
これはその通りとしか言いようが無い。
そういう雑談なら面白く読めるのだが、大半は退屈だったのは残念だ。
歴史的天才の言うことなんざ、おいらのような凡才の心には少しも響かないものなのだろう。
- 作者: 小林秀雄,岡潔
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/02/26
- メディア: 文庫
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