そしてまた咲く
下巻はより怪異物が多くなる。怪異を語ることは何を語ろうとしているのか?そこにあるのは爛熟した江戸文化の中で、人々の好奇心の対象としての怪異、グロテスクが多い(人情物、心中物と同じレベルで)ということかもしれない。それを取り上げること自体、その好奇心をなぞっているのか、別の意味を求めているのか、ということは考える必要があるだろう。怪談が廃れない理由、ゴシップが廃れない理由、そういったものとは別に、求めてしまう心の在り様、それを満たすためのメディアの在り様は文化の文脈から規定されるような気がする。江戸時代と現代が似ているとかそういう話ではなく、通底する心の動きがあるはずで、それがこの作品の魅力にあるような気がする。
