堀口大学のフィルターが、などと言っておきながら、堀口大学訳のランボーを読む。
明らかに、ボードレールと文体が異なるのは、たぶん詩の形式がボードレールの方が古典的で、ランボーの方は少し崩れているのだろうか?
とは言え、ボードレールの方は30歳頃に、ランボーは10代に書かれたことを改めて認識すると、それは文体も違ってしかるべきだろう、と思う。
そう思うと、何らかのフィルターがあったとしても、バイアスはかかってはいないとも考えられる。
ランボーの詩は瑞々しく、時には直情的でもあるように思えたのだけれど、原文で読んでもそうなのだろうか。
ランボーは10代のうちに読むべきだ、と言ってたのは誰だったろうか。
