雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

人間について/マイケル・ポラニー

久しぶりに、マイケル・ポラニーを読み返してみる。

ハンガリーの哲学者で、兄は経済学者のカール・ポラニー。

以前、何冊か読んだけど、ピンとこなかった。

一般的には科学哲学として知られているようだけど、この本は認識論について、そして自身の「個人的知識」についてのイントロダクションのような本である。

要約の要約みたいなことをしてもあまり意味がないかもしれないけれど、自分の理解を再確認するという意味で、思い出しながら書いてみる。

一番腑に落ちたのは、機械を例にとって、それぞれの部品は物理法則に従って動いているが、機能については物理学や化学では説明ができず、工学の分野になる、ということ。

いくら機械の細部を説明しても、機能や故障については語りようがない。

この喩えを人間の知性に慣用して、知識をベースにする知性の背後に暗黙知が存在し、それが人間同士がコミュニケーションする際に役立っている、という。

確かに単語の語意だけではなく、その背後にあるコンテクストを読み取ろうとする働きがあってこそのコミニケーションなのだ。

暗黙知」という言葉自体は、ビジネスとかで使われることもあるけれど、内容は全く異なっている。

むしろ、ベイトソンの認識論に近いだろう。

ここで一つ疑問に思うのは、このコンテクストを読み取る能力は、アプリオリな生来のものなのか、学習によって獲得するものなのかは、判然としない。

恐らく生来の人間固有の能力と考えているようだけれど、本当にそうなのだろうか。

コンテクストを理解する能力がもし、学習によって獲得できるものだとすると、それはAI技術で再現できる可能性があるので、知性を持ったロボットの登場という未来がもうすぐ見えるのかもしれない。

なんてことも考えた。