雨の日は本を読んでいたい

あの時の本を読み返したら、今はどう思うのだろう。いつか読み返すために、思いついたことを書いておこう。読みたい本が尽きなければ、雨の日だって、晴れの日だって、読みたい本だけ読んでいたい。

山家鳥虫歌―近世諸国民謡集


歌謡の地層

山家鳥虫歌―近世諸国民謡集 (岩波文庫)

山家鳥虫歌―近世諸国民謡集 (岩波文庫)


この本は、近世の諸国の歌謡を集めたアンソロジーである。
人の集まる席で披露されて、歌う人、舞う人、涙する人、笑い転げる人、そして人の口から口へと伝えられていったものだろう。
集められた歌は、バラエティに富んでいる。
ユーモアあり、恨み節あり、恋の歌あり、叙景あり、だがどれも明るいのだ。
明るいという表現が適切に言い表されているか判らないが、読んだ感覚として明るい感じがする。
それは、近代以降の詩歌のように、個人の中で凝り固まった言葉ではないからかもしれない。
人々の中に流通することで、洗練され、深化されているような気がする。
だから、この本は読んで終わる本ではないのではないだろうか?
この内容をもう一度、人々の中に解き放ち、流通させるのが必要なのかもしれない。
もうひとつ、
中世の歌謡である梁塵秘抄もそうだが、五・七・五・七・七という和歌の定型ではない。
五と七の自由な組み合わせで、作られている。
たぶんこれは、歌うことを前提にしているから、節まわしによって七・五・七・五だったり、七・七・五だったりするのだろう。
(ちなみに、奄美や沖縄の琉歌は八・八・八・六が基本であり、沖縄民謡の節まわしの独特さに深い関係があるのだろう、と思っている)
詩歌と歌謡、歌謡の地層、歌謡の世界は深いのかもしれない。